【体験談】いじめのトラウマで承認欲求が膨らみ、インターネット恋愛に依存…

私は現在大学3年生の女です。

未だにいじめを受けたことも、自分をいじめていた人のフルネームも覚えるほどトラウマとなっています。

忘れたくても忘れられない、恐怖の日々・・・。

辛い過去ですが、今回は思い切ってこれまでに私が経験したことを綴ります。

photo by U.S. Fotografie

スポンサードリンク

承認欲求が膨らんだ原体験:小学校のいじめ

いじめの始まりは私が小学校1年生の時でした。

時折私は不思議な行動をすることが多く、それを面白がった同じクラスメイトにからかわれたことがきっかけだったと思います。今思い返してみると、授業中でも面白かったアニメや漫画のシーンを思い出し一人で小さく笑っていたり、漫画やアニメのセリフや行動をしなくてもいい時にする、など落ち着きがないことも含めおかしな行動ばかりでした。これを世間では「ちょっと浮いて、周りとずれている天然な子」というのでしょうか、周りから見れば関わりにくいタイプだったのかもしれません。

次第に、その行動を不気味に思ったクラスメイトからは避けられるようになりました。

また、いじめを誘発する要因として、自分自身の体型という問題もありました。私は甘いものが好物でお菓子をよく食べる子で、その量は通常の小学生よりも多かったです。(お雑煮のお餅を3個一気に食べる、お土産の箱入りマカダミアナッツチョコ1箱一気食べ、大袋入りのお菓子プラスアイス2つ、など)

ただ自分が幸せな気分になることが最優先であり、お菓子を多く食べたら太ってみんなから蔑みの対象となるということは考えていませんでした。

今思うとこの時の自分を叱りたい気持ちです。ぶくぶく太っていった結果(この時点ではぽっちゃりですが)、案の定一気にクラスの誹謗中傷やいじめのターゲットとなりました。身長はそんなに高い方ではないのに、体重はクラスで一番重かったのではないかと思います。元々あまり皆の前に出る様なタイプではなくどちらかと言うと端っこの方でこっそり本を読んでいたり絵を描いているタイプでした。

目立たないよう、騒がないようにしながら、それでも私に話しかけてくれる人には感触の良い返事をするように心掛けていました。しかし仲良く接してくれた人はその後態度を一変し、主犯格と一緒になって私をいじめるようになり、裏切られた思いで悲しさしか感じませんでした。

要領が悪く鈍臭く、頭もそれほどよくない私はいじめのいいターゲットだったのでしょう。席替えでは私の隣を引いた人が「こんな豚と一緒かよ」と悲鳴を上げる、夏休みの宿題の工作ではみんなそれぞれ作品を私の作品から遠ざける、「○○(名前)菌が移る」と私の体に触れた人は手に移った菌を他の人にタッチする、給食では班ごとに机をくっつけて食べる決まりでしたが私の周りの席の人たちは私の机から離れている(私だけ教室の後ろでぽつんと独りで食べている・・・数えるときりがないですが、「デブ」「豚」「ブス」「根暗」「ぶりっ子」などの誹謗中傷や仲間外れ、陰口を始め、このような学校の決まりに沿ったものの中にもいじめがありました。給食を独りで食べるのが惨めでした。

先生のことも信用しておらず、親にも心配をかけたくない、クラスは男女とも敵という四面楚歌の状態から誰にも相談できませんでした。もし当時の私に逢うことがあったら、小学生の頃の私は「いじめられているの?」と聞かれても「いじめられていない」と答えたと思います。心配をかけたくないのもありますが、いじめられていることを知られるのが何より恥ずかしいという思いもありました。

そんな中クラスの担任の先生が「いじめについて」という題目でホームルームで話し合おうと提案したのでした。

「いじめについて」偽善のホームルーム

余計な事しなくてもいいのに…と、苦々しく思いました。

誰にでも当てはまるかもしれませんが、私のクラスの人たちは、自分より立場が上の者には従順ないい子を演じ、自分より格下の相手だと決めた相手には日頃いい子にしていた我慢のはけ口や反動から、必要以上に精神的にも肉体的にも攻撃をするようになります。

案の定、自分たちより目上の担任の先生がその場を仕切るホームルームの時間ではクラス全員、いじめをしている時とは打って変わっていい子を演じていました。

「いじめはないけれど、もしいじめがあってもクラスみんなで話し合い、仲の良い学級を作っていきたいです」

という学級委員の締めくくりでホームルームが終わりました。このような裏表が長く続いたため、担任の先生もいじめを放置していました。

しかし学年も上がるにつれ、ようやく担任の先生もいじめに気付くようになりました。「何かあったら先生に言いなさい。話すだけでもすっきりするしじっくり話に付き合うから」そう優しい言葉をかけた先生でしたが、私にはその言葉が信用できませんでした。今まで散々放置しておいて今更この対応、時すでに遅しという言葉がぴったりだと思いました。

いじめがひどいときは保健室登校となっていました。しかし、先生は私をいじめの沼となっている教室に連れ戻そうと必死になっていました。自分のクラスにはいじめなんてない、あることが保護者や学校外に知られることで学校のイメージダウンにも繋がり先生としての立場も危ういのではないかという世間体を気にしているのではないか。

子供ながらにそんな捻くれた思いを抱き、先生すらも信じることができなくなりました。話したところで、何の解決にもならず「先生に告げ口した」とクラス中から恨みを買われいじめがエスカレートしていった経験があったので、こんな馬鹿馬鹿しいことはないという思いでいっぱいでした。

中学校時代もいじめは続いた

中学に入り、多少は精神的にも楽に過ごせるだろうかと構えてましたが、後に現実はそう甘くないということを思い知らされます。中学でのいじめの原因は人をじっと見てしまう癖と体型、性格だと思います。学校に行けばクラスの人(男子と女子)に毎日何をしても「キモい」と言われてました。

中学の同じクラスの人達は私がいじめられていたことを何故か知っているんです。多分私と同じ小学校の人何人かが面白半分で周りに言いふらしたのでしょう。最初の頃は皆優しく、普通に接してくれていたのですが、しばらく経つと冷たい態度になっていきました。

「○○ちゃんっていじめられてたんでしょ?」「そーゆう子無理」というクラスの子達が話してるのを聞いてしまいました。まだそんなに関わっていないのに、人から聞いた話だけで好き、嫌いを判断されていました。やっぱり過去にいじめられてたという事実は消せない、ということを改めて再認識したのです。逃れられない最悪の運命のようなものを感じていました。

また、中学の時は女子にも男子にも「デブス」と呼ばれ、本当は嫌なのに、普通に返事をしていました。田舎の芋臭い容姿に人より太っている自分、というのは自分が一番理解していました。それでも一生懸命明るくしようとしていましたが、私はかなり浮いた存在でした。例えば体育や就学旅行等、クラスで何人かで集まって班を作らなくてはいけないときなど、いつも余ってしまうので、とても嫌な時間でした。どこかの班に入れてもらうことになるのですが、班に入っても私はいないように扱われたり、面倒な作業を全部押し付けられたりしました。グループのリーダーだったり(面倒ごとになったらすべて自分に押し付ければ周りの負担はない)、ときにはクラス委員長を強引に押し付けられることもありました。

教師から見れば「おっ、頑張っているな」という感じだったのでしょうが、自分では内心とてもつらい気持ちでいっぱいでした。

いじめはエスカレートし、私に触るとデブになるという変なジンクスのようなものができました。最初は、私に触るとデブが移るということだったのですが、次第に、私が触ったものに触るとデブ菌に感染してデブが移るというように悪化していました。(小学校の時はブスで気持ち悪いから触れたら病気になる、というものでした)私の机や、私が触った黒板消しなどをみんな触りたがらなくなりました。

もちろん、そんなことでデブが移るわけないとみんな分かっています。ですが、面白おかしく、私の触ったものに、除菌しないとと言って除菌スプレーをかけられることもありました。移動教室で私が座った場所は、誰も座りたがらず、誰か除菌スプレーもってない?と大声で言われることもありました。

そんな日が続き、気づけば私は学校で完全に孤立していました。デブじゃなかったらいじめられなかったのか、それとも痩せていてもデブでも私という存在自体がいじめの対象になるのか……などとかなり悩みました。悩んでも悩んでも辛いという気持ちしか無く、考え抜いた結果気持ちが晴れるなんてことはありませんでした。学校が終わり、家に帰ってひとりになると、学校であったことを思い出して泣いてしまう日もありました。自分に唯一優しく普通に接してくれる親には心配をかけたくないので、泣くのは、絶対自分の部屋のなかだけと決めていました。

承認欲求が膨らみ、インターネット恋愛にハマるように

小学校と中学校の体験談を長々と書いてしまいましたが、そんな精神的にもボロボロになった私が思ったたった一つの願い、それは「自分を必要としてくれる人が欲しい」ということでした。

しかし人と出会いたくても、容姿が整っていたり派手だったりばっちりメイクしたりという人が行く合コンや、大勢での出会いの場は苦手で、とてもじゃないけど参加する気になりません。私は口下手で、慣れてこないとうまく話をする事もできません。

そんな私が出会いの場として選んだのが、インターネットの世界でした。

ちょうどそのころ、携帯も買い与えられ、自分専用のパソコンも持っていました。最初はメール等のネット上のやり取りからスタートさせたいという思いから、少しずつインターネットを出会いに活用するようになりました。

Twitterでの出会い

丁度その頃、世間では「Twitter」という交流SNSが流行っており、自分も登録することにしました。自分からはあまり他人をフォローすることはありませんでしたが、ある日フォローされたある一人の男性によって私の人生が変わりました。

丁度その頃、私のTwitterのアイコンは、スリム効果や小顔効果など、写真加工アプリで自分の写メを変えたものでした。私をフォローした男性は私のアイコンの写真を見て「〇〇ちゃんかわいいね」とリプライをくれるようになったのです。それから私たちは少しずつTwitter上でメッセージのやりとりをするようになりました。

今思えばその時期が一番楽しかったのかな、ここでやめておけばよかったとも思います。そんな仲の良い関係がしばらく続いたとき、相手の男性から「Skypeでもチャットでもいいから、二人だけで連絡取れないかなぁ」なんてことを突然言われました。今までの人生でこのようなことを言われる経験は一度もなく、ンションあがりまくりの状態でした。

突然の告白

「好きだよ」

そんな流れは突然やってきました。まだ私のほうは完璧に”好き”という感情ではなかったけど「うん、わたしも」みたいなことを言っていました。ですが別に付き合う、というわけでもなく毎晩一時から好き好き言って過ごしていました。そんな生活が続いてる間にだんだん、あぁ、自分はこの人のことが好きなのだと思うようになりました。

写真でしか見たことなく、SNS上で短期間だけ関わった人を好きになるなんて、と自分でも驚きましたが、これは紛れもなく好きという気持ちだと、その時には思い込みました。

しかし、今になって思い返すと、それは本当に好きだったわけではなく、誰でもいいから自分を必要とし甘えさせてくれて、可愛がってくれる人がほしかっただけだったのだと思います。

私はその男性のTwitterのHomeを常にタブで表示させていて、他の女の人とReplyを交わしているのを見ると嫉妬するようになっていました。 外出先でも、どのようなことを話しているのだろうかという思いから彼のTwitterHomeを確認。あの頃はもうネットストーカーだったと今では思います。

日に日に重なる嫉妬、嫉妬。それと並行して増していく、離れていかれるのが怖いという不安。しかし話していると安心する。嫉妬や不安、寂しさを覚えるくらいもう完全に「恋」だなぁと。

そんなある日、相手のほうから「こっちきてよ。一緒に遊ぼう」と持ち掛けられました。その時の私は彼に溺れていたので、会いたいと簡単に決めてしまっていました。ネット恋愛をするうえで、最大の壁になるのがネットと現実でのギャップです。年齢や見た目はもちろん、性格や話し方なども含めてです。実際に会ってみると、思ったのと違う、と感じる事が多いですが私はその「思ったのと違う」の人でした。

思い出したくないほど最悪な彼とのデート

いざ当日。私は彼の住む隣の県まで電車を利用し、会いに行くことに決めました。きっと彼にチャットの時と同じように構ってもらえる、甘えさせてもらえる!とワクワクしていましたがその願いは、結局叶わないものとなってしまいました。

写真と異なる人物の私を見て、はじめはそれなりに優しい対応を心掛けていてくれましたが、Twitterでやり取りしていた頃の恋人に近い様子を連想されるやり取りではありませんでした。

駅でしばらく彼とお話しした後、ラブホテルで休憩することになりました。「休憩」とはいうものの、彼はラブホテルの部屋に入ると同時に私の服を脱がせ、少し乱暴に私の性器をいじり、自分の性器を挿入してきました。「好きだよ」とは言ってもらえたものの、それは行為の間のみの感情だけにしか過ぎません。私が承認欲求や見捨てられたくないという不安を持っていることを彼は知っていたため、わたしが脱ぎ、行為に応じるのもわかっているようでした。

外見が期待はずれだったため、せめて行為だけでも、というのが彼の妥協案だったのかもしれません。行為が終わると彼は私に冷めたようで、友達同士の感覚で話すようになりました。私も「飽きられたんだな」とはうすうす感じていましたが、心の底では彼をまだ好きでいました。彼はホテル代2万円を置いて、明日急に仕事が入ってしまったということで帰っていきました。

残された私はそのホテルに1泊することになったのですが、ふとした瞬間、涙が出てきました。

自分がまるで用済みにされた、使い捨て人形のジャンク品のようで。次第に悲しい気持ちでいっぱいになりました。結局、私は本当に必要とされたわけではなくただの都合のいい存在でしかなかったのです。心もボロボロ、失った処女、・・・綺麗に迎えたかった初体験はあっという間に崩れ、私は心を失いました。

ネット恋愛に依存するように…

小学校からいじめを受け、誰にも必要とされなかった私は、自分の価値を下げ、「誰でもいいから、少しの間でもいいから必要とされたい」という承認欲求を拗らせていくようになりました。ネットで知り合った男の人と話し、実際に私が会いに行き、行為をして帰る、という性接待のような感じでした。今そのことを思い出しただけでも涙が出てきます。すぐに終わる関係なのに移動費もすべて自分持ちで大幅な出費となり、処女という価値を失い、何人もの男の人と経験をし「中古」となり、 後悔するばかりでした。

ダイエットをはじめ、人生が変わった

大学生の頃に、これらの経験から、私はこのような変な承認欲求を持つことの無いよう、自分が変われるようにダイエットを始めました。他の人からは「今更遅すぎる」と鼻で笑われていたかもしれません。しかし、ダイエットをして痩せれば、都合のいい性処理相手とは思われずに済むのではないだろうか、という考えがあったので、今までのことを後悔しつつ、ダイエットに励みました。

まず、食事制限を行いました。それまでのわたしは味付けの濃いものや甘いものばかり食べていましたが、ダイエットを始めてからはそういったものを摂らないようにしました。

ダイエットをはじめてすぐのころは、甘いものが食べたいという欲求が頭の中でぐるぐる回り、我慢できず、お菓子を買うお金を下ろすため郵便局のATMへ行ってしまうこともありましたが、丁度その時は運良く?人が多く並んでおり、断念しました。

次第に「なぜここまで頑張って太りに行くのだろうか」と自分の行動に対して疑問を感じるようになり、お菓子を買うためにお金を下ろしに行くことはなくなりました。

また、体を動かすことでも、バイト先には車を使うほど遠くはないため行き帰りは歩く、部屋のクイックルは頻繁になど、こつこつ努力を重ねていきました。ジムは入会費や月会費が高く払えなかったので、近所をランニングすることで運動量を増やしました。

その結果、私の体重はみるみる減っていきました。次第に、それまで醜かった容姿もよくなり、なんと男性から告白をされ、恋人ができるまでになりました。

まだ小学校からのいじめのトラウマは忘れられず、ときどき不安にはなりますが、本当の意味で人から愛されることを知った私は、手当たり次第に愛してくれる人を探すことはなくなりました。

まとめ

インターネット恋愛に依存することの怖さを知り、承認欲求を拗らせることはよくない、ということが身に染みてよくわかりました。

人に認められることを自ら求めても心は満たされず、「承認欲求をふりかざす→認めてもらえない→落胆し、承認欲求をこじらせる」というサイクルに陥ります。

私はこのサイクルからなかなか抜け出せず、満たされない承認欲求に飲まれ、次第にうつ傾向となっていきました。

自分のことを誰も認めてくれない。寂しい。自分は価値のない人間だ。と毎日ネガティブなオーラに包まれたままでした。

しかし、大学生になってからは必要以上に他人からの承認を求めることの無意味さに気づき、肥大化した承認欲求をモチベーションに変えてダイエットに励み、努力をかさねた結果、次第に人から自然に認められるようになりました。

本当の意味で承認欲求が満たされた私は、表情も明るくなり、今では彼氏とともに本当に幸せな日々を過ごせています。

いじめを受けた過去は消えませんし、今でも思い出したくないトラウマです。しかしそのいじめがあったからこそ、なにくそ!と頑張るモチベーションになり、人生を変えることができました。

いまいじめられている人や、人に認められたい気持ちに振り回されている人は、うちに溜まった辛い気持ちを自分を磨く原動力に変えることで、長い目でみれば本質的な問題の解決ができると思います。

辛さに負けず、自分を奮い立たせ、人生を変えてやりましょう!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です